懐かしの「新自然塾・テント村」を思い出すの巻

お土産「ふれあいをもとめて」

我家の玄関にある「郵便受け」です。北海道の道東で繰り広げられた「テント村」に参加して作ったものです。35年ほど前(?)の話です。五目漁師さんの「しばし海を離れて道東に!」と言うブログ内容で、懐かしの鶴居村が、出てきたんです。しばし釣りも時間も離れて、思い出多き鶴居でのテント村を書き進めます・・・。

31時間の船、遥々出かける先は釧路

31時間のまりも

東京湾の有明埠頭から、「テント村」に応募してきた小学生30名程と仲間のスタッフで「マリモ」に乗り込む。参加費を出来るだけ安くするための船の旅です。

こんな船甲板

「マリモ」では有りませんが、こんな感じの船です。昼間は、自己紹介、ゲーム、チームワーク作り等をし、夜は大部屋での雑魚寝。

釧路の港が見えて来ると、おお北の大地北海道だ!

新自然塾テント村ホッケ

【道東】                   【釧路・「炉ばた」のホッケ焼き】

釧路は、妻が学生時代過ごした場所です。港町とて、入りたい飲み屋さんが沢山ある。「炉ばた」と言う名の炉ばたがある。脂の乗ったホッケ、サンマが安くてお勧めです。ホタテの焼いたのも美味しい。しかし「きんき」は、お高いので要注意です。立ち寄りたい店が目白押しですが、テント村です。目指すは鶴居村です。

何も無い牧場にテント村が設営される

牧場しかない

鶴居村にある友人の牧場の一角を借り、一週間ここで過ごします。釧路から参加したスタッフ&子ども達も加わり、総勢50名ほどの大所帯です。大食堂が必要です。トイレも必要です。フロは、必要ありません(造れません?)。5~6名ほど収容できるテントも次々と張られていく。到着してから、暗くなる前に最低限必要な施設を造り、その後夕食も各班ごとに作る。テント村で一番忙しい時です。

テント村名物と言えば「オリエンテーリング」&「きもだめし」

コース作り

「オリエンテーリング大会」の前日、N氏とコース作りをする。おにぎりを持って一日がかりでコース考え、チェックポイント作りに出かける。道なき道を進んでいく。熊注意というより、巨大なダニ注意です。見たこともない大ダニがいる。夕方5時にはコース作りを終え、村で唯一の食堂に立ち寄る。冷たいビールも置いてある。「やあ、今年のコースは面白い」と二人で、反省しながら乾杯!至福の時です。テント村の夕食が終わり、後片付けも終わった頃を見計らって、「やや、きつかった!きつかった !」と言いながら帰る。「随分日に焼けて??」とか、言われてしまう。

本当に怖い、テント村名物「きもだめし」

近くの離農されたお宅を借りて行うのですが、本当に怖い。この「きもだめし」があるから、参加したくないという子供もいる。脅かし役で待ち受けているスタッフの方が、本当はもっと怖いんです。ある年「さあ、これからやるぞ」と言う時、脅かし役のスタッフが「わあ~ッ!」と叫びながら、戻ってきてしまった。「あの壊れているサイロから、白い煙が「モク、モク~ッ!」と湧き出てきたんだそうだ。スタッフもビビリ、子ども達も泣き出し、一時パニックでした。

船で帰る前日は、楽しいバス旅行

旅行コース

野付半島まで行った年もありました。阿寒湖は、外せません。お土産を買うもありますが、それよりも「フロに入る」事が大事です。野生児から風呂に入ってさっぱりし、一般人に戻ります。そして、またまたあの長い船旅で有明埠頭に戻ってきて、10日間の楽しかった「テント村」も終了です。たった10日間の友達ですが、別れとなると、何故か涙が出てしまいます。

懐かしいです、20年余り続いた「新自然塾・テント村」ですが、今はもう行われてはおりません、ではでは・・・

コメント

  1. のりべん より:

    こんばんは!のりべんです。今日も帰りの電車の中より失礼します(^-^)

    北海道の大自然に戯れる、イイですね〜!
    こういうイベントが子供の頃あったらきっと参加していたと思います。ですが子供の頃はこういう『遠足』タイプのイベントには残念ながら縁がなく、町の子供会のイベントに参加する程度でした。
    こちらは山と海に囲まれた街なので、『青少年釣り大会』では釣り船ではキス釣りを。『地網引き』ではアジ、イワシ、サバなど、キノコ狩り教室ではアシナガ茸など…てほとんど食べてばっかりですね(^_^;)

    • B級釣り名人 より:

      のりべんさんへ

      おはようございます

      いつも電車の中よりのコメントありがとうございます。

      「青少年釣り大会」「地網引き」「キノコ狩り教室」
      どれも楽しそう&美味しそうで、参加したくなります♪
      海と山に囲まれた、最高に良い地で育ったんですね。

      私の子供の頃は、子供会と言うのもなく、
      近所の子と好き勝手に遊んでいました。

      自然の中で遊ぶことがなくなった都会の子供に、
      自然相手に遊ぶのは楽しい、
      そんなことから、はじまった「新自然塾・テント村」でした。
      今は色々なアウトドアの教室がありますが、その先がけだったような気がします。

  2. Heavysize より:

    こんばんわ。

    北海道大好きです♪
    以前も何かで言ったかもしれませんが、ドラマ「北の国から」にはまりDVDも全てもっており、子供が産まれる前までは毎年北海道に行ってました!!!
    メインは富良野ですが、先生の今回の記事にも出てきたマリモの阿寒湖や摩周湖も勿論行きました。
    阿寒湖は畔のホテルに泊まったのを思い出しました(^-^)/

    本当にアチコチ行きました。
    食べ物も美味しいものが多いです。
    北海道のホッケは本当に美味しいですよね♪
    大きくて、しかも安い♪
    居酒屋では必ず食べますもん!!!
    面白いところではクマやシカ、トド、何故かカンガルーの肉なんかも食べました。

    正に大自然の中…
    テント村!!!良いですよね♪
    今でもアチコチにテント村はあるんですよ(^^)d
    子供のころにこういった経験って良いです!!!必ず良い思い出となります(*^ー゚)b クッ゙

    我が家も子供達が大きくなってきたので、また北海道に行きたくなりました。

    • B級釣り名人 より:

      Heavysizeさんへ

      おはようございます

      覚えております、Heavyさんの「北の国から」&北海道大好きを。
      私も妻と阿寒湖の、畔のホテル泊まりましたよ♪
      真冬だったので、阿寒湖の上を歩きましたw

      仰るとおり、北海道は、美味しいものが一杯です。
      残念ながら、カンガルーの肉は食べた経験がありません。
      北海道でカンガルー???

      お子様を是非是非、Heavyさん懐かしの北海道を案内してやってください。
      我家の子ども達は、全員なんやかんやで北海道を体験しております。

      PS 渓流竿、買ってしまいましょう。イワナ、ヤマメ、一杯います。

  3. 錦天 より:

    初めましてです。いつも楽しい釣りの話しを拝見させていただいております!

    テント村のお話しに感動してしまいました。 東京からの船旅に野生児体験!一生忘れられない貴重な体験になる事間違いナシです。 参加して見たかったです。

    • B級釣り名人 より:

      錦天さんへ

      おはようございます(始めまして)

      テント村は、楽しくて貴重な体験でした。
      累計何名位の子ども達が参加したのでしょか?
      20年以上も続いたので、テント村を体験し大きくなって、
      今度はスタッフとして参加したりとか・・・

      我が子も連れて行きました。
      長女5歳、長男3歳ぐらいだったでしょうか。
      二男は小学5,6年の時「行きたい」と2回参加しました。

      参加した子供もそうでしょうが、スタッフとして参加する大人にとっても、
      色々貴重な体験が満載でした。
      夜は夜で、火を囲みながら色々な話をしたり、
      なんだか10日間、寝たんだか寝なかったんだか分らないで、
      毎回、過ぎ去った様な気がします。

  4. セピア より:

    こんばんわ^^

    たった十日間、されど十日間ですね。
    普通の日常だと記憶からなくなっている十日間っていっぱいありませんか?私はあります 笑

    掲題のような十日間は一生忘れない十日間、その間にできた仲間と涙の別れ。

    私も似たような経験とリンクしながら読んでました。
    いや~ いいですね~

    • B級釣り名人 より:

      おはようございます

      >普通の日常だと記憶からなくなっている十日間っていっぱいありませんか?

      近頃は毎日が、こんな日々ですぅ(涙)
      「あれ、今日は何曜日だっけ?」で始まり、
      「昨日のお昼は何食べたっけな?」で終わります。

      セピアさんも、同じような経験をしたとのこと、
      普段忘れていても、何かをキッカケに呼び起こされますね。
      今回は、五目漁師さんのタンチョウ鶴の鶴居村のお話がキッカケでした。

      また、いつかは行ってみたい北海道です。

  5. 村山 より:

    釣りキチ先生
    こんばんは

    テント村!いい響きです。
    自分は高校三年までボーイスカウトやってましたよ。
    縄の結び方、火のお越し方、食料の保存、ナイフや鉈、山刀の使い方
    etc.あの頃は興味深々で無我夢中でやりました。野営では、地図、コンパス、太陽に月。計画をたてて実行、そして結果と反省。
    楽しかった。子供は楽しさから、色々覚えて吸収する。
    今、四十を越えておもう。これは、生きる力のパーツなんですよね。
    必ず、何かの場面で使えるんです。昔とった杵柄!
    忘れて居るようで、意外と身体が覚えてる。
    自分の子供に、夏休みの宿題自由研究で、火お越し器を造り、火お越しし飯盒でご飯を炊き、塩ニギリをやらせました。美味い美味いとむさぼってましたが、大人になれば思い出すと信じてます。
    便利な時代。物は何でもある。便利な物の原点が大事だとおもいます。
    不便は人を育て、便利は人を駄目にする。
    不便を便利に変える事が大事なのですよね
    きっと、テント村を経験した子供達は力を身につけたに違いないですね。得したと思ってるとおもいます。
    アウトドアの道具は捨てられない。いや、捨てない。

    • B級釣り名人 より:

      村山さんへ

      おはようございます

      >火お越し器を造り、火を越しし飯盒でご飯を炊き、塩ニギリをやらせました。

      火お越し器まで作ってしまいましたか!
      火の無い所から、火を起こすのって難しいですね。
      便利な着火ライターがあれば一発ですが、
      ガスレンジも、カチャっとひねれば一発で火がつきましが、
      何も無い所から火を作り出すのは、難しいです。

      これがあると便利の品が、一杯あふれています。
      「ちょっと待てよ、無くても良いか?」と、考えてしまいます。
      身の回りが便利品であふれて、不便な生活になりそうなのでw

      私もアウトドアの道具は捨てません。
      名栗が、3.11のような津波に襲われた時、
      水は沢の水でOKだ、火は取り合えずライター、
      飯盒もあるし、鉄板もあるし、
      マキになる木も、名栗には沢山あるし等々。

      窮地に立たされた時って意外と、
      こんな原始的な体験が生きてくるのかなと思います。

      釣り道具も持っていますし、
      食料もどうにかなりそうですw

  6. AP より:

    はじめまして!
    APと申します。
    昨日から、ブログを拝見させて頂いております。私、北海道の道南出身で、キャンプ村の内容を見て、少年時代の思い出が込み上げて来ました。私も、今から35年ほど前に、中山峠という場所で、100人規模でのキャンプに参加しました。8歳と9歳の夏休みでした。
    それこそ、村の状態で、しかも、ヒグマが出る場所なので、周りに自衛隊が守っている状況でした。
    幸い、熊は出ず、テントを張り、溝を掘り、石で竃を作り、新聞紙と薪をくべ、火をおこし、文化鍋で飯を作り、カレーライスや、豚汁、ジンギスカンを作ったものです。夜はキャンプファイアで、踊り、大人達が、山の神に扮して、即興の演劇をして盛り上げてくれました。朝には、テントのそばに仕掛けた、キャラメルにエゾリスが来るのを、隠れて観察しました。それら全てが煌めく思い出です。
    私の自然に対する憧憬の原点を思い出させてくれました。
    感謝いたします。
    因みに、私も、ボート釣り大好きです。
    青物はやりませんが、先日の大津のイシモチ釣果、素晴らしい!南風ならば、私も、石田釣具ボートに行ってイシモチを狙いたいと思います。

    以上

    • B級釣り名人 より:

      APさんへ

      おはようございます(はじめまして)

      35年前で、100人規模で、自衛隊の護衛つきですか!!
      すごい体験をされたんで、ビックリしています。
      ちょうどこの頃から、色々なところで「うごめき出した」んですね。
      ※キャラメルで、エゾリスを見る。当時この技を知っていれば、絶対試したと思います。

      北海道は、ヒグマがやはり怖いですね。
      釣りをする時、特に出っくわしはしないかとドキドキです。
      幸いキツネや鹿は見ましたが、熊は見ておりません。
      オリエンテーリングのコース作りの時も、
      チリンチリン鳴るベルを、つけて行きました。
      お蔭で熊には会った事は、有りませんでした。

      こんなドキドキワクワクの体験は、いつまで経っても忘れないもんですね。

      PS 石田ボートで、今でもワクワク体験しております。
        

  7. 五目漁師 より:

    いやー、凄いですね35年前ですか。
    鶴居村とはいえまだまだ丹頂が絶滅状態のころでしょうか。
    今は食堂もありますし、温泉銭湯もありますよ。

    我が家もテント生活が好きで、子供が中学生くらいまでは毎年
    能登半島でキャンプでした。親離れしたあとでもあのキャンプなら
    一緒に行くよ!というくらい娘や息子も思いで深いようですよ。

    釧路にマンスリーマンションを借りて1ヶ月くらい滞在したなあ~
    と計画したこともありますが、まだ実現できずです。
    その時にはカメラの他に、釣竿も持っていきますよ。

    • B級釣り名人 より:

      五目漁師さんへ

      おはようございます

      記事上での、お名前訂正しました。
      ※「五目釣り師⇒五目漁師」さんに
      すいません、最初のインプットがなかなか抜けません。

      鶴居村の「つり具のつり人」の記事で、
      妻と二人で大笑い、そして懐かしの鶴居村でビックリでした。

      年に何度も行った鶴居村でしたが、今は様変わりしたんでしょうね。
      「温泉」って、たぶん「あそこかな?」と推測しています。
      当時、温泉が出た騒ぎをしていて、
      まだ囲いだけの「ほったて小屋」で無料で入れました。
      皆でぞろぞろ歩いていって、「いい湯だな」でした。

      PS お蔭様で、色々思い出させていただき、
        ブログ記事もUPさせていただきましたw

  8. 芋焼酎 より:

    おはようございます。

    いいですね~、私も子供のころ、北海道ではありませんが、キャンプ村のようなところに参加したことがあります。
    35年前という事は、私は先生に引率してもらった小学生でしたね~。

    そろそろうちの子供たちにも、そういう体験をさせたいなあ。

    • B級釣り名人 より:

      芋焼酎さんへ

      おはようございます

      あちゃ~、小学生でしたかァ

      キャンプって色々出来湧いて面白いですね。
      みんなで、あ~だこ~だ言いながら、ご飯作って、
      多少出来が悪くても、「うん、旨い」と言って食べる。
      失敗のないカレーをかければ、多少ご飯は上手に炊けなくてもOKです。

      我が子は、もうすっかり大きくなってしまったので、
      孫を相手に、庭にテント張って、BBQやったりしております。
      これでも結構楽しいみたいです。

  9. ブライアン より:

    先生、こんにちは。

    今回の北海道キャンプや前にお聞きしたイスラエルのお話など、先生は若い頃から行動派でアウトドアが大好きだったみたいですね(^o^)♪

    広い大津の海を縦横無尽に動き回る先生の源を見たような気がしました!

    子供の頃に一泊のテントキャンプくらいしか経験がないんですが、いま思えば楽しい思い出になってます。

    まだまだ先生からは楽しいお話が聞けそうですね♪

    そのうちにまた聞かせてくださいね!

    でわ \(^o^)/

    • B級釣り名人 より:

      ブライアンへ

      おはようございます

      小さい時は、「セミ取り名人」でした。
      埼玉大学の広い校庭が、遊び場でした。
      「セミ取ってきてくれ」と大学生に頼まれて、
      何匹か持って行ったら、10円もらったのを思い出した♪

      大津でも、同じようなことやっているんですかね。

      PS いつか妻がヨーグルトケーキ作りだしたら、
        「誰もが喜ぶヨーグルトケーキの作り方の巻」を
        載せたいと考えておりますが、作る様子がない(涙)

  10. 山田 より:

    大変お久しぶりです。
    私は釧路から新自然塾に参加しました。当時は中1でしたので今でも良く覚えております。
    私は〇下君のテントでしたが、毎晩ヒーローに変身して大変でした。
    キモ試しでは、スタッフが叫びながら戻ってきて、もうキモ試しどころじゃなかったですよね。サイロの白い煙は今でも鮮明に覚えてます。皆で手をつなぎ逃げ帰りましたよね。サバイバルの様な1週間、家に帰ると文明社会のありがたさを感じました。
    新自然塾がなくなったのは残念ですが、私にとっては、まさに人生の「塾」となりました。
    それから、当時フェリーで皆さんが、そんなに苦労して来られたとは思いませんでした。
    懐かしい思い出をありがとうございました。

サブコンテンツ

このページの先頭へ