道の奥(番外編)・気仙沼&陸前高田「復興の足音」の巻
気仙沼の陸の上にある大きな船です。この本来あるべき所でない場所にある船。テレビのニュースで何回見たのでしょうか。「船、見ますか?」、と気仙沼在住の妻の妹に案内され見てきました。この船を残すか撤去するか、議論されているそうですが・・・
気仙沼で、「復興屋台村」も見てきました
「ここで、カリスマ美容師さん(次男)たちも、食事を食べたのよ」、教えてもらいました。昼間のためでしょうか、人通りがまばらです。「夜になると、もう少し賑やかなんだけど」、と妻の妹が説明してくれた。
このTシャツが人気があって、けっこう売れるんだそうです。「負げねえぞ気仙沼」です。
個人の小さな漁船が、いっぱい置かれていました。2年前の、3.11以前には、みな現役で働いていた船です。廃棄された車みたいに、船もこんな風に置かれているんだと、びっくりです。
着実に、瓦礫は片づけられています。気仙沼の港からは、観光のフェリーも動いていましたが・・・
復興の足音①(気仙沼)
九転び十起きの一関ばあちゃんと、妻以上に共に暮らしてた妹です。気仙沼に嫁いだ。海からほんの数メートルの位置に暮らしていましたので、生活していた99%を流されましたが、復興に向け着々と生きています。
復興の足音②(陸前高田)
気仙沼以上に、その地形の所為か大打撃を受けた高田市です。瓦礫はほとんどなくなり、ショベルカーとダンプカーが力強く動いていました。
埼玉生まれの埼玉育ちの私は、邪魔をしないように見ているだけです。そして、せめて多少ですがお金を落としておこうと、新しくできていたガソリンスタンドの「オカムラ」で、ガソリンを満タンに詰め込むぐらいです。
最後に一言・・・
- 本日、名栗のビューティフルガーデンを、久しぶりに整備しました。発見です!ゴマダラカミキリです。好きなんですカミキリムシ。
- やっぱり、現場に行くって大事だなと思います。凄いことが起きても、時間と共に段々薄れていく。
ではでは、もう一度ぐらい今年度中に岩手に行くことになるんでしょうか・・・
先生、こんにちは。
震災の前に三陸を海づたいに旅行しました。
あのとき出会った人や街や景色は今どうなってしまってるんだろうと時々思います。
私も近々に自分の目で見てこようと思います。
後世のためにも打ち上げられた船、是非残してほしいですね。
joeさんへ
三陸の海づたいに旅行されたんですか。
私の子供たちがまだ小さかった時に、私も宮古まで行きました。
気仙沼や陸前高田の海は、夏に岩手に行った時は、海水浴やら何やらで楽しみました。
船一つとっても、思いはさまざまあるようです。
「残しておくべきだ」という人、「見たくない」という人。
船主さんは、船本来の姿でないので、撤去の方向で考えているとも聞きました。
どちらもそうだなと思いますが、どちらか選択しなくてはいけない。難しいです・・・
先生、この時間、連続投稿のananです。
あの、3.11震災が起きて、直ぐに東北、福島に駆けつけたかったが、自治会長だった事もあり、一区切りつけて行けたのが4月末。
当初、数日間のボランティア参加のつもりでしたが、良く行った相馬の海岸の姿を見て唖然!
あまりの驚きに本当に言葉が出ませんでした、前の姿を知っているから尚更です。
そこから、福島は南相馬へのボランティア通いがスタート
金曜日の夜、東京で仕事を終えて車で移動、福島入り、土・日ボランティアに参加して、日曜夜に戻る
休日、特別の用事が無い限り、2011年は好きな釣りとバイクを封印して、毎週通った次第です。
ボランティアセンターの解散で、今は不定期にしか通っていませんが、『2年以上が経った今からでも、ぜひ現地の姿をご自身の目で見て欲しい』と強く思う次第です。
(すみません、震災の件になりますと、つい熱くなるもので^^;)
気仙沼でのボランティアは唐桑の仮設住宅を回りました。
昼はお茶っこでおばさん達と、夜は日本酒呑みながら青年団と語らいました。
東北の方は、九州人の私からすると、とても辛抱強いですね。
妹さん宅の1日も早い復興を願っております。
ananさんへ
こんにちは
ボランティア通いって、そういう事だったんですか。
岩手や宮城もそうとうでしたが、福島は原発もからみ、時間やらなにやら数倍かかりそうです。
確かに、東北の人って辛抱強いですね。
泣き言を、言いたい気持ちもあるんでしょうが、
「負げねえぞ 気仙沼(東北)」で、黙々と頑張っている。
中途半端な埼玉生まれの埼玉育ちとは、根性が違う気がします。
こんにちは。
やはり直接行った人の話は非常に面白いです。
自分の知っている人の話だと余計に身近に感じます。
なかなかうまくいえませんが、とても貴重なものをみさせていただいた感じがしました。
芋焼酎さんへ
こんにちは
2年前の震災があって、間もない4月。
色々な人の物資を車に積み込み、気仙沼を訪れました。
震災を受けた気仙沼を見て、唖然としてしまいました。
瓦礫は、ほぼ綺麗に片づけられてきましたが、
まだまだ復興途中です。
遠く離れて関東に住んでいると、そんな中に東北があるんだと言う事を、すぐ忘れてしまいます。
草刈りと言う名の渓流釣りですが、
一関に行った際は、またこの目で三陸の街を見てきたいと思います。
こんにちは!のりべんです。
ショックで言葉を失いました。会社のボランティアで仙台若林地区に数回行かせて頂き、ガレキ除去をお手伝いさせていただきましたが、去年の春にそこに行かせて頂き、その時の風景から復興が順調に進んでいると思い込んでいました。
木を見て森を見ず、ですね。お恥ずかしいです・・・。
今度、東北の地産フェアがやるそうなので、まずはそこに家族といって買い物してきます。
貴重なレポートありがとうございました!
のりべんさんへ
3.11の日、亡き義弟(妻の弟)がちょうど仙台に出張で居ましたよ。
我が家でも「三陸産」なんて商品を見つけると、
ついつい買ってしまいます。
気仙沼は、漁港で揚がってきた魚を処理する工場やらなにやら、沢山あったようです。
魚が揚がってきても、受け入れ口が、まだまだのようです。
そんな中での貴重な三陸産、買ってしまいます。
妻の妹の嫁ぎ先は、ワカメの養殖などやっていました。
三陸のワカメは、肉厚で極旨です♪
ホタテも、最高です。
あのホタテが食べたい!
こんにちは先生!
何処も震災の津波での被害は大きいですが気仙沼、陸前高田の被害は言葉を失います。
特に気仙沼は数名の知人が亡くなっていますので思い入れが強いです。
だから僕はいつまでも震災を忘れないというのではありませんが、先生のような記事で忘れない意識が拡がればいいなと思ってます。
復興は確かに進んでますが復興中ということは未だ被害にあってる最中って事にもなります。
だからと言ってたいしたことはできないですが忘れない意識を持つことが大切ですよね。
一関出身の僕にとって先生のブログは釣り以外の面でも心を打ちます。ありがとうございます。
セピアさんへ
共に一関がらみの、気仙沼がらみですね。
一関の街中は、もうすっかり元のように見えます。
海に近づかなければ、震災があったのも昔の話みたいに見えます。
妹の住む気仙沼がらみで、そして大好きな気仙川で陸前高田がらみになってしまいます。
気仙川の中核、住田町で釣りをしている分には良いのですが、
下流の高田も気になって、時間に余裕があると覗いて来ます。
いくらでもないですが、よしコンビニがある何か買って、
よし、ガススタが出来ている、ここでガソリン入れてと、
お金を少しですが落としてきます。
PS 一関の直利庵、2回も行ってしまいました。
やっぱり旨い。セピアさんも一関に帰られたら是非是非。
「妹さんと同じクラスメートだった娘、多分あの人だよな」、
なんて妻と直利庵で語りましたよw
こんばんは!
実は、私が心配していたのは、この記事なんです。
先生、ショックで落ち込んで帰ってきても塞ぎ込んでいるのでは無いだろうか?
でも、記事を書いて頂いたおかげで、先生の心境と現地の復興具合、諦めない様子が垣間見れて、少しだけ安心しました!
東北の復興に必要なのは、今は働き口、産業とそれを支えるインフラだと思います!
釣り人ができること…エラコの通販とか出来ませんかね?
何か有る気がします。
考えましょう!
APさんへ
おはようございます
震災の1年目は、写真を撮ることすらできませんでした。
海でなく渓流釣りでも、苦しかったです。
※「砂鉄川のヤマメが釣れない(or永遠の嘘をついてくれ)」で、
苦しいけど、かなり本気のブログを書きました。
マザーテレサを引き合いにだしたら、おこがましいですが、
「自分の身近にいる人」、私でしたら妻の実家の一関や気仙沼に住む妹です。
その人々の関わりで、出来ることをする。
ここを原点に自分の為に、あるいは他者の為に、
これからもしていきたい、そう思っております。
先生こんばんは。
いつも東北の様子を教えて頂きありがとうございます。
ちょっとずつですが復興には向かってるようですね。
でもまだまだなんだなって思いました。
確かに当時のことを考えたらかなり記憶から薄れてきていますね。
先生の記事や世妃亜さんの記事で思い出すことが出来る。
東北行って確かめたくなりました。
まだ行ってない旅行を東北方面にするのもありですね。
検討してみます!
せーじさんへ
おはようございます
東北はいい所が沢山ありますよ♪
中尊寺もいいですし、厳美渓のカッコウ団子もお勧めです。
空飛ぶ団子です。
砂鉄川の猊鼻渓の舟遊びも、楽しいです。
龍泉洞なんて言う洞窟めぐりも、子供は楽しいです。
青森も気になっています。
津軽は行ったので、今度は奥入瀬とか十和田とか八戸とか、下北半島はどうなんだとか。
被災した三陸の町々は、観光気分という感じでは、まだまだないと思いますが、
行く(お金を落としてくる?)だけでも、意味があるのかなと思います。
おはようございます。
気仙沼の船まだ残っているんですか。
写真で見るだけでもインパクトありますね。
先生の記事で色々なことを思い出しました。
2年前私も仙台市若林区の荒浜にボランティアへ行かせていただきました。
ショックで言葉を失いました・・。
そんな中で現地の農家のおばちゃんたちが、一生懸命で明るくふるまっていたことが今でも強烈に印象に残っています。
私たちにとってはこのことがすくいでした。
復興にはまだまだ時間がかかると思いますが、
先生のブログを見て東北へ行くだけでも復興のお手伝いになるのかなって感じました。
buruさんへ
おはようございます
ニュースで見ると、遠い所の出来事みたいに感じてしまいます。
実際に現場を見ると、私も言葉を失いました。
車が屋根の上にあったり・・・
関東に居るとどうしても、時間と共に記憶が薄らいでしまいます。
折を見つけて、東北に行ったり、
同じ品を買うなら三陸産と書かれた商品をかったりしております。
先生、おはようございます。
まだまだ復興には時間が掛かりそうですね。
気仙沼のこの船も当時はよくTVで見ました。
やはり現地とそうでない場所とでは流れる時間の違いを感じます。
どんどん薄れていく記憶。。。
ても、現地ではまだまだ復興に向けて。。。
考えさせられます。
本当に1日も早く皆さんが元の様な生活に戻れるといいです。
何も出来ない無力な自分をうらめしく思います。
Heavysizeさんへ
2年前の3.11があって間もなくは、
大津のボート店に、閑古鳥が鳴いていました。
津波が来たら怖いなと思いながら乗っていました。
今は、全く津波のことなんか考えてませんものね。
私も妻が岩手出身でなければ、他人事です。
その妹が気仙沼に住んだから、
関われる時関わりたいと思っています。
先生、こんばんわ。
私の弟が仙台に住んでいますが、2年前の3/12~13にかけて仙台へ、東京に出張に来ていた弟を車で送りました。
4号線をひた走っていき、燃料のことも考えずに勢いで行ってしまいましたが、弟の奥さんや子供が弟が帰ってきたことで、凄く落ち着いた感じになったことを思い出します。
その翌週にも、食料や水やらを積んで弟宅に行ってしまい、今では考えられない行動力だったなぁと思います。
その後、何度か仙台に行き、途中で海岸の方も見て回りますが、胸が痛む以外の表現が見つかりません。
先生の仰るとおり自分の身近な人に出来ること、その土地でなるべくお金を使うこと、セピアさんの起きた事を忘れない意識を持つこと、大切なことだと思います。
ブログありがとうございました。
芦ノ湖の引き波さんへ
おはようございます
読んでいて、なんだか花粉症になってしまいました。
連絡がとれただけでホッとしましたね。
家族の顔をみたら、そりゃあさぞかし、先ずはホッとできたと思います。
無我夢中でしたよね。
ガソリンの心配もありましたが、夢中でいろいろと考え、
運べるものを運びましたね。
出来るだけ邪魔にならないように、海岸をさっと見て回りましたが
、
確かに言葉になりませんでした。
こんばんは。
瓦礫が片付きつつあるとはいえ、まだ仮設住宅暮らしを強いられるなど、震災前に戻るにはまだ程遠いですね…。
僕は、もう30年位前になりますが、子供の頃、親と一緒に石巻など三陸を旅行した事がありますが(当時は、まだ鯨の刺身も旅館の食事に普通に出てました)、漁業は観光資源でもあるので、港に活気が戻らないと、キツイでしょうね。
自分達一人一人が復興に対して何が出来るかですが、僕らに一番身近な事では、今年の4月から所得税に、復興所得税が課税されていますが、これまでの復興予算が全く関係ない事に使われていたなど、政権が変わっても、遅々として復興が進まない現状に、自分はあの時地震に遭遇したとはいえ、被害にはあっていませんが、テレビで政治家先生の発言を観ていると、怒りを感じますね。
あの時、多額の募金が集まりましたが、あの募金も本当に役立ったのだろうか?とふと思う時があります。
Macchiさんへ
おはようございます
ほんとですね。その通りですね。
なんでこんなお金の使い方をしてしまうんだろうと、
ビックリして、あきれてしまうことも多いです。
その場その場で、安直に片づけようという発想があるような気がします。
沖縄の方々もそうですが、東北の方々も「ふざけんじゃねえ」と言いたい気持ちで一杯だと思います。
反面、地道な努力をしている方々には、本当に頭がさがります。