名栗食堂・3.11の朝に復興米を食べるの巻
田んぼを見つめる「みちのくのオナゴ3人」。手前の青い服を着ているのがスーパーばあちゃん(シルバースポーツ大会の短距離走・記録保持者)。白い服を着て指をさしているのが妻の妹。「復興米」と名づけた米を作っている。その奥に、ほとんど見えませんが妻がいます。
3.11名栗食堂の朝定食は・・・
【名栗食堂】 【復興米ご飯】
【メカブ納豆on the 復興米】 【3.11の朝定食】
3月11日(火)の朝は、宮城県気仙沼産の復興米。そして神奈川県横須賀市の石田丸産のワカメでした。ほぼメカブ納豆だけで、ご飯「お代わり下さい」でした。
食堂に飾られた写真
孫達の写真が中心ですが、めったやたらと増えてきました。妻の妹に撮ってもらった舟の写真も貼られている。
「ホンダ会」と言うんだそうです。ホンダの船外機をつけた漁師舟が3艘並んでいた。あの大震災が起こる前の夏に、2度ほど乗せてもらった。釣りと言うよりは、船外機の操作に慣れるためのものでした。
3年前の今日、この舟も隣に繋がれた舟も流されました。写真の色が、だいぶ茶けてきましたが貴重な写真となってしまった。
最後に・春をお届け
書も書く。絵も画く。写真も撮る。なんとなんと、料理も達人。神山蒔風先生の絵です。可愛い六地蔵さん達が、我が家の玄関に居ります。
観ていると、心が温かくなってきます。関東北の僻地・名栗にも、春の足音が聞こえてきました。ではでは・・・
こんばんは先生!
このような話題になると先生の過去の記事の復興サンマを思い出します。
目頭を熱くさせたことも思い出します。
先日船に乗った仲間が今日、気仙沼に行きました。
半年しか結婚生活を送ることが出来なかった妻の命日です。
お腹には赤ちゃんもいました。
その彼が今日メールで
「釣りと出会えて良かった 今後もよろしくな」
と送ってくれました。
先生のブログを通じてこうして仲間が増えなければ僕は飽き症なので釣りから離れてたかもしれません。
お陰様でその仲間と釣りを共通の趣味とし楽しみ、喜びを分かち合ってます。
釣りの力、今日思い知りました。
今日こそ「されど釣り」と思った事は有りません。
震災、一ノ関、気仙沼、そして釣り。偶然とはいえ全てが僕にとって先生との共通ワードだと思うとまた目頭が熱くなります。
さて、、、ワカメご飯の記事でもアップします。
世妃亜さんへ
おはようございます
釣りの力って、確かに凄いですね。
「父さん、釣りのブログやらないか」の長男の助け舟で、
ブログは知らないが、「釣り」で乗ってしまいました。
セッピーのことも、釣りがなかったら、全く繋がらないでしまったんだろうし・・・
(それにしても、性格が全く違うのに(ん?)共通点がありすぎだァw)
お友達からの、「釣りと出会えて良かった 今後もよろしくな」のメール、短いけど良いメールですね♪
津波が無ければは、ないが・・・それでも、もし無かったらお腹の中に居た赤ちゃんも、3歳で可愛い盛りですよね。
朝からTVを見っぱなしだったけど、3年目って色々な意味で節目なんだなァと思いました。
PS ワカメご飯の記事見ました。3.11と言えば、やっぱりワカメですよねェwww
先生こんばんは。
もう3年
まだ3年
言葉になりませんね。
とんでもない爆弾が落ちた広島もちゃんと復興してます。
東北もきっと。。。
まだまだ復興半ばですが、平時に戻ることを祈るばかりです。
せーじさんへ
おはようございます
もう3年ですね、遠くの地にいると段々と薄らいで行きます。
気仙沼で、格闘している人々のTVを見ました。
飲食店をしている人、元漁師の人、色々な方が3年目をむかえ、
格闘していました。
福島の人たちも見ました。
どちらが大変は、無いのかも知れませんが、
核はやっぱり別物なんだと、知らされました。
広島も、大変だったんだろうなと想像できます。
妻が毎朝行っている「朝起会」ですが、
広島で被爆された方が創始者です。
PS 私もいつか広島に行って復興している街で、
広島の「お好み焼き」が食べてみたい♪
震災の日、そこから変わったこと、変わらなかったことがそれぞれ沢山ありました。
あの震災が無ければ…思っても仕方の無いことですが私自身狂ってしまった歯車を未だに整理できずに毎日を過ごしてます。
前を向くしかない!
自分に言い聞かせて進みます。
APさんへ
おはようございます
3年前の震災が起きたとき、日本が大きく方向転換するんだと思いました。
また元にもどちゃった、と思ったり、
いやいや、変わって来たぞ、と思ったり・・・
確かに、前を向くしかない、ですよね。
後ろ向きで歩くのは、前向きよりもっと大変ですもんね。
PS 最後に載せたお地蔵さんを画かれた「神山蒔風」先生ですが、
以前確か、APさんが「書が神山時光」と言う人と
似てると言ってましたよね。
同一人物でした。蒔風先生の本名が、神山時光でした♪
只今、南相馬から帰宅しました。
震災が起きた日、何が出来る訳でもありませんが、そこに居たい。
30年以上通っている福島のユースホステルに泊まり、ボランティアを通して知り合った人々に会い、ほんの短い時間、短い会話でしたが、忘れていない事だけは伝えられたと思います。
3年経っても津波の被害に手付かずの場所があるなんて、思いませんよね。
でも、あるんです、福島には。
震災関連死が止まらないのです、福島では。
自然災害からは人は立ち直れる、が、人災からは・・・
我々に出来る事ありますよね。
被災地に行くと励まされているのは私
勇気をもらうのは私
これからも一緒に歩んで行きます。
ananさんへ
おはようございます
おお、やっぱり福島へ行かれたんですね。
「三陸も大変だが、福島はもっと大変だァ」
3年前の岩手のばあちゃんの一言です。
避難した地で、5歳の小さい子でも、
自分が居た場所を知られないために、
「あそこ」とか、言葉を選んでいたのをテレビでみました。
一気に花粉症になってしまいました。
年に1,2度しか、一関&気仙沼を訪れるだけですが、
見守ることや、何かの際には駆けつけます。
関われるところで、関わった人たちと共に、
末永くお付き合して行きたいと思っております。
先生、こんばんわ。
感慨深いですね。
あれから3年…
まだ時間の止まっている所もあると聞きます。
少しずつ前を向いて進んでいる方々がいます。
必ず復興は出来ると信じています。
しかし、本当に勇気付けられます。
薄らいでいくのは仕方ない事かもしれませんが、忘れたくはないですね。
前を向いて進んでいくしかないのだから。
しっかりと前を向いて私も進んでいきたいです。
Heavyさんへ
おはようございます
しっかりと自分に向き合って、前を向いて頑張られる方を見ると、
涙が出てきてしまいます。
そして、よし頑張ろうと勇気をもらえます。
小さい子も、高齢者の方も色々と乗り越えようとして、
時には押しつぶされて、ここまでやってこられたんだと。
せっかちな正確なので、結論を急がずに、
私も前を向いて進みます。